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福岡高等裁判所 昭和30年(う)753号 判決

控訴人 原審弁護人

被告人 金子甚六

弁護人 中川宗雄

検察官 納富恒憲

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役四月に処する。

但し、この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴趣意は、弁護人中川宗雄提出の控訴趣意書第一、二点記載のとおりである。

右に対する判断。

(一)  判示村有金貸与の相手方に関する事実誤認の点について。

所論によれば、判示村有金貸与の相手方は、判示松沢福督ではなくして判示夜須村夜須農業協同組合(以下農協という)であるというのであるが、原判決の挙示引用にかかる証拠によれば、判示村有金借用の主体が農協でなく判示松沢福督である事実を認定するに十分であり、原判決に所論のような事実誤認の違法があるものとは認められない。

原審において取り調べた証拠並びに当審における事実調べの結果に徴すれば、本件貸借は次のような経緯によるものであつたことを認めることができる。すなわち、柿原正は農協に対し昭和二七年三月末日までに支払うべき四七万余円のなたね買受代金債務を負担していて、本件貸借の行われた当時農協から之が支払方を厳しく督促されていた。一方農協は、当時なたね搾油工場(以下工場という。)の建設を計画し、高橋峰夫との間にその機械購入並びに機械据付の請負契約を結び、高橋峰夫は昭和二七年三月末日までに、試運転を完了すべく、請負代金の支払は契約と同時にその三分の一、機械の据付と同時に同三分の一、試運転の完了と同時に残額全部とする旨の約定であつた。ところが、農協側において用意すべき予定工場の整備、殊に配電工事が遅延した等の事情のため高橋峰夫においては、右の機械をすでに搬入していながらこれを据えつけることができない状態であつた。柿原正と高橋峰夫とはかねて知合の間柄であり、柿原正が農協から買受けた前記なたねも実は高橋峰夫の需要であつたが、農協においては高橋峰夫との間に直接になたねの取引を行い難い事情があつたため、柿原正において買受人となり、そのなたねを高橋峰夫に引渡していたものであつて高橋峰夫は農協より受取るべき請負代金の残額四七万四千円をもつて、右のなたねの代金にあてる旨を柿原正に申入れていた。とにろが農協の高橋峰夫に対する右金員の支払は前記の事情によつておくれていたのに、柿原正に対する農協の債権の督促は依然として厳しく、ために柿原正は、その善後の措置を工場建設委員の一人でありまた工場建設に関して種々奔走していた判示松沢福督に依頼した。松沢福督はこれを諒承し、まず当初農協の金融係田中卓に右の事情を申述べ、松沢個人への一時金融方を申出でたが容れられなかつたので、夜須村村長たる被告人に、判示村有金の一時融通方を申入れるに至つた。被告人は昭和二七年三月二八日松沢福督より右の申入を受けるやただちにこれを受諾し、収入役下村善三郎と協議の上判示村有金を貸与し、かくして貸与された判示四七万四千円の金員は、農協に対する柿原正の前記なたね代金債務の支払にあてて即日納入され、夜須村に対しては、農協の高橋峰夫に対する請負代金の支払金、同年四月一八日、同年五月一五日、同年五月三一日の三回にわたる合計四七万四千円をもつて完済された事実が明かである。

本件金員の貸借に関する右の経緯に、本件貸借に関する借用証書(証第七号)の債務者の名義が、主債務者松沢福督、保証人柿原正と表示されていて、農協もしくは農協の代表資格が全く表示されていないこと、松沢福督は、工場建設委員の一員ではあつたが、工場建設委員会もしくは農協を代表すべき何らの権利を有していなかつたこと、農協においては判示貸借の当時工場建設請負代金の支払資金として特に判示村有金を借用すべき何ら格別の事情も存せず、かつ農協の組合長兼工場建設委員長花田佐平においては、判示貸借について何ら関知するところがなかつたこと等の諸事実を綜合すれば、農協が本件金員借用の主体でなかつた事実はまことに明白であつて、判示村有金はこれを農協に貸与したものである、とする論旨は到底採用することができない。

(二)  判示村有金の貸与に関する村長たる被告人の職責権限について。

所論によれば、被告人の判示村有金は、これを工場建設請負代金支払の資として農協のために農協に貸与したものであり、被告人において村議会の議決をまつことなく、右のような貸与の処分に出たのは、工場の建設が村の利益に帰すると共に農協の申入を受諾して農協との協調を保持することが村行政の円滑な運営に資するゆえんであることを思い、結局村の利益をはかる以外他に何らの意図もなかつたのであるが、こと急を要し、村議会を招集する暇がないと認めたためであつて本件貸与の処分は違法の措置ではない。というのであるが、右の論旨もまた次の理由によつてこれを容認することができない。すなわち、

(い)客観的の事実として、農協が判示村有金の借主と認められないことは前段説示のとおりであつて、論旨は、その前提においてすでに客観的な事実に反する。

(ろ)判示村有金の一時融通方に関する松沢福督の申入れの趣旨につき、被告人の弁解によれば、農協において工場建設請負代金の支払に窮し、これが支払の資にあてるために入用である旨の申入れであつたといい、司法警察員の面前における松沢福督の供述によれば、松沢福督においてはかかる趣旨の申入れをしたのではなく、柿原正の入用である旨を申入れたところ、被告人において、柿原正に貸与することはできないが松沢福督の名義をもつてするならば貸与してもよい旨を申すので、松沢福督の名義をもつて借用することに被告人の承諾をえたものであるといい、借用方申入の趣旨の点に関しては、被告人の弁解と松沢福督の供述とがたがいに相対立するのであるが、所論のように、松沢福督の政治的立場が被告人のそれと相対立していたという特殆事情を考慮に入れても、本件貸借の経緯に関する前記の諸事実、殊に本件貸借に関する証書が主債務者松沢福督保証人柿原正の名義となつている事実に照すとき、松沢福督の右供述内容は、必ずしも所論のように被告人を陥れるための虚偽の供述とのみは断じ難いものと認めざるをえないのみならず、被告人において、判示村有金貸与の趣旨をその弁解のとおり信じていた事実を認めるに足りる的確な資料は存しない。

(は)仮りに、被告人において、その弁解のとおり判示村有金の借主が農協であつて、農協は同金員を工事請負代金の支払にあてるものと信じたとしても、これを信ずるにつき相当の理由があつたものとは認められない。農協において判示村有金の一時的融通を必要とするような事由がはたして存するかどうかについては農協の組合長兼工場の建設委員長たる花田佐平に対し、口頭もしくは電話をもつて照会するだけの、きわめて容易に実行することのできる手段をつくす注意を用いさえすれば、たちどころにこれを明確ならしめうる状況であつたのにもかかわらず、かかる点に何らの注意を用いることなく、松沢福省の申入れを受けるやただちにこれを受諾して判示貸与の処分に出たものであることは証拠上明白であつて、右は、被告人の判示村有金貸与の処分における重大な懈怠にあたるものと断ぜざるをえない。

松沢福督が村会議員、農協理事、工場建設委員等の地位にあつたという事実は、被告人に懈怠があつたとする右の判断に何らの影響を及ぼすものでない。

(に)そもそも村の財産は、常に良好の状態においてこれを管理すべく、これが貸与処分の如きは、条例又は議会の議決による場合を除くのほか、貸与の相手方もしくは期間の如何を問わず、全く許されないものであることは、地方財政法第八条第一、二項の規定に徴して明白である。また、村長の専決処分が許されるのは、地方自治法第一八〇条による議会の委任がある場合、もしくは、同法第一七九条第一項所定の事由の存する場合、すなわち、議会が成立しないとき、議員の定足数を欠いて会議を開くことができないとき、村長において議会を招集する暇がないと認めるとき、または議会において議決すべき事件を議決しないときに限られているのである。そして右にいう「村長において議会を招集する暇がないと認めるとき」とは、事態緊急を要し、議会招集の正規の手続によるときは時期を失し目的を達し難いと認められるような、特殊な具体的事情の存する場合であつて、しかも、村長の右判断は誠実にして合理的な判断たることを要する趣旨であつて、村長の恣意的な判断を許す趣旨でないことはもとより明白である。被告人の判示村有金貸与の処分については、これを相当ならしむべき何らの急迫事情も存在せず、仮りに被告人において、その事情があるものと判断したとしても、右の判断は、松沢福督の金借申入れの言辞について何らの検討を加えない懈怠に基く誤信であつて、誠実にして合理的な判断であつたものとは認め難く、被告人のかかる不合理な判断があつたからとてそれによつて、判示村有金貸与の専決処分が合法化さるべきいわれはない。

その他判示村有金の貸与につき、被告人にこれが権限の認められる事由の全く存しないことは証拠上明白であるから被告人の判示村有金貸与の処分は、法律上全く権限のない違法の措置であると断ずるのほかはない。

(三)  不法領得の意思について。

所論によれば、被告人の判示村有金の貸与は、結局村の利益をはかる以外他に何らの意図もなかつたのであるから、不法領得の意思を欠き、横領罪を構成する余地がないというのであるが、横領罪の成立に必要な不法領得の意思とは、他人の物の占有者が委託の本旨に違反しその物について処分の権限がないのに、その権限を有するものでなければできないような処分をする意思をいうのであり、村長たる被告人は、判示村有金について貸与の処分権限がないのに、収入役たる下村善三郎と相謀り、判示村有金を他に貸与する意思をもつて現に判示のような貸与の処分をしたものであること明白であるから、被告人に不法領得の意思がなかつたという論旨はあたらない。

被告人において、判示村有金貸与の処分により、被告人自身または松沢福督もしくは柿原正の個人的な利益をはかる意図を有しなかつたという事実は、右不法領得の意思の成立を妨げるものではない。この点に関する論旨も理由がない。

(四)  判示村有金貸与処分の違法性について。

所論によれば、被告人の判示村有金貸与の意図は前述のように結局村の利益をはかるにあり、なお、その貸与の期間は僅か四、五日という短期間の約定にすぎず、そして右約定の期間をいささか経過した後ではあつたが昭和二七年五月三一日までの間には貸与金全額の返済を受けたのであつて、村に対し何らの損害を加えていない。これらの事情は、いわゆる使用窃盗の場合と同様に、その所為に違法性なしとして犯罪の成立を否定すべき事情にあたるものというべきである、というのである。

しかし、いわゆる使用窃盗の場合には、権利者の利益に対して加えられる侵害もしくは侵害の脅威は通常きわめて軽微であり、違法性を欠くものとしてこれを処罰の対象の範囲外におくことは、社会的実践規範たる刑法本来の目的にも合致するものと解すべき合理的な理由あるのに反し、本件の場合は右と著しくその趣きを異にする。判示村有金が判示のように他に貸与されて単なる貸金債権に変更されるときは、その返済はひとえに債務者の意思と資産状態のいかんにかかることとなる関係上、そのこと自体、村の利益はすでに相当重大な侵害の脅威にさらされるものといわなければならない。さればこそ、これら村有の財産の貸付については、前述のような地方財政法第八条によつて条例または議会の議決による場合のほか、固くこれを禁止されているのである。のみならず、地方自治法上議決機関たる村議会と執行機関たる村長の職務権限を明確に区分し、村長の専決処分の許される場合を厳格に制限し、判示村有金貸与のような処分が村長の権限外におかれているのは、各自責任の範囲と所在を明かにし、民主的にして健全な村行政の運営を確保し、もつて公共の利益を保持しようとする趣旨にほかならない。したがつて、判示村有金の貸与のように如上右種法規上の制限に違反する不法の処分行為は、たまたま、貸与の相手方が農協であり、貸与の期間が四、五日という短期間の約定であり、もしくは約二箇月を出でずして全部返済された事実があるとしても、これらの事情によつてその違法性が阻却されるものと解すべき何ら合理的な理由は存しない。のみならず、被告人の判示村有金の貸与によつて判示夜須村の利益に資するところがあつたと認めらるべき何らの事実も存しなかつたことは前述のとおりである。仮りに被告人において、村の利益に資するものありと判断したとしても、その判断は、被告人の単なる錯覚にすぎず、しかも、それは被告人の重大な懈怠に基くものであつたことは、これまたすでに説示したとおりである。かかる錯覚のゆえに被告人の判示村有金貸与の所為の違法性の阻却さるべきいわれのないことは、もとより明白であるといわなければならない。この点に関する論旨も理由がない。

(五)  期待可能性の点について。

しかし、本件のような場合、前記花田佐平その他農協関係者について、はたして農協において判示村有金を必要とする事情があるかどうかの点を明かにし、もしくは村長たる自己に貸与処分の権限のない旨を説いて、判示松沢福督の申入れを謝絶し、あるいは、村議会を招集して議決の結果にまつ等の所為に出ることが至難の状況にあつたものと認むべき何ら格別の事情は存しない。被告人に、判示所為以外の措置に出ることを期待することが不可能であつたものとは認められない。

この点に関する論旨も採用の余地がない。

以上説示するとおり、論旨はすべて理由がない。

次に職権をもつて、判示村有金の職務上の占有関係の点について審究するに、普通地方公共団体の長たる村長は、地方自治法第一四七条により、村を統轄し、これを代表し、同法第一四八条第一項により、村の事務を管理し及びこれを執行し、同法第一四九条第三号により、財産及び営造物を管理し、同条第四号により、収入及び支出を命令し並びに会計を監督し、同法第一五四条によりその補助機関たる職員を指揮監督する権限を有することが明かであり、なお補助機関たる村収入役は、同法第一七〇条第一項により、村の出納その他の会計事務を掌る職務権限を有することが明かである。これらの諸規定に徴するときは、村長にその管理の権限を認める右同法第一四九条第三号にいう財産とは、村の基本財産等収益その他特定の目的のために長期にわたり村の公用に供せられる財産を指称し、かかる財産に属しない村の財産については、村の出納その他の会計事務を管掌する収入役において、これを保管占有すべき職務権限を有するものであつて、村長はただ収入役の右の職務の遂行を監督する地位にあるにとどまり。みずから単独にもしくは収入役と重複してこれを保管占有すべき職務権限を有するものではないと解するのを相当とする。判示村有金は、当該年度の歳入出予算に属する金員であつて、基本財産等に属しないものであり、収入役下村善三郎の名義をもつて農協に預金されていたものであることは、当審証人下村善三郎の証言によつて明かであるので、これが職務上の占有者は収入役下村善三郎であつて、村長たる被告人は職務上においても事実上においてもこれが占有者たる地位にあるものではなかつたと認むべきである。したがつて、被告人の判示所為は犯人の身分により構成すべき犯罪行為に身分なくして加功した共犯として、刑法第六五条第一、二項により単独横領罪の刑を科すべきであるところ、原判決がこれを業務上横領の罪に問擬し、刑法第二五三条を適用処断したのは、判決に影響を及ぼすことの明かな法令適用の誤があるというのほかなく、原判決はこの点において破棄を免かれない。

よつて、刑訴第三八〇条第三九七条により原判決を破棄し、刑訴第四〇〇条但書に従い本件について更に判決する。

罪となるべき事実は、原判決摘示事実のうち、村長として「同村の一般行政並びに収入、支出、その他の会計事務を統轄」とあるのを、村長として「同村の一般行政を統轄し、収入及び支出を命令し並びに会計を監督」と改め、「業務上保管中」とある前に「下村善三郎」の文字を加えるほか、すべて原判決の摘示するとおりであり、法令の適用は次に示すとおりである。

刑法第二五三条第六五条第一項第二項第二五二条第一項。

刑法第二五条。

刑訴第一八一条第一項。

以上の理由により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 筒井義彦 裁判官 柳原幸雄 裁判官 岡林次郎)

弁護人中川宗雄の控訴趣意

原判決の認定した事実の概要は、被告人が夜須村村長として保管していた村有金を、収入役下村善三郎と共謀し松沢福督に貸与して業務上横領したというのであるが、原判決挙示の右証拠に証人大村忠考、同平山万馬、同斎田定策、同倉地栄の右供述を併せて検討してみると右事実の経過なり、行為当時の諸般の事情はおよそ次の如きものである。

一、夜須村の全世帯数は約千七百戸であるが農家はその約八割の千三百余戸を占め、この農家を構成員とする夜須村農業協同組合(以下農協という)と村当局とは相協力提携してゆかなければ村政の円滑な運営は到底期待出来ない事情にある。ところが農協組合長花田佐平理事松沢福督をはじめ農協の幹部は殆んど村長たる被告人に事毎に反対の態度をとつており、殊に松沢は村会議員でもあり農協理事は十数年勤め組合長を凌ぐほどの有力者であるが、数次の村長選挙に於て被告人反対の急先鋒であつたのみならず村政面に於て常に反目対立を続けてきていたので被告人は村長として対農協、対松沢の問題には日常苦慮もていた。それで村有金の預金も現場の近くの福岡銀行支店のみであつたのを、不便を顧みず遠く離れた農協にもわざわざ預金して融和を図ることに気を配つていたのである。

二、当時農協ではなたねの搾油工場を建てることになり松沢はその建設委員の一人であつたが事実上は責任者として振舞つていた。一方工場の設備機械は高橋峰夫から買入れていたが、電気設備や敷地の点がうまく進捗しないため据付が出来ず、試運転の上機械代残金を支払う約になつていた関係上、支払いが遅延するので高橋は矢の督促を農協にしていた。

三、この時松沢が被告人に対し「農協は年度末決算期で融通がつかない搾油工場はなたねの収獲時期(六月頃)に間に合はないと大損失になるから高橋えの残代金四十七万四千円を一時村有金から都合してくれ、四、五日うちに必ず支払う」旨の申入れをした。被告人はこれをうけて、松沢の要求に応え農協の窮状を救うことが延いては村のためになることだと考え、又斯くすることによつて村にいささかの損害もかけることはないと思つて、下村収入役と相談の上本件の金員を貸出した。貸出した金は二ケ月以内に全額支払いをうけており、貸出したことについての村議会の承認はうけていないが村議会に代るこれと同視してよい村の集会体の事後承認はうけている。

四、原判決は三、弁護人の主張に対する判断の中で被告人が村有金を引出したのは柿原正の農協に対する債務弁済を主たる目的としたものだといつているがこの金が結局柿原の債務に充当され松沢もそれを目的で被告人に貸出しを依頼したのは事実であつたとしても、被告人としては左様な事情は全く知らないところであつて、前項の松沢の申出通り信じて貸出したもので証拠を仔細に点検するとそのことは明瞭である。柿原に対しては被告人は多額の借金の世話をしてきている。この事跡に徴しても若し柿原が真実を被告人に話しての相談であつたならば個人的に吉田某からでも都合してやつたであろう。政敵の面前で後日攻撃される虞のある公金を一私人に融通するの不見識をする筈がない。

五、本件の告訴人は直井喜八となつているが、これを裏から推進している者は松沢であることは前後の事情から推認できるところである。一点の実害もない、一片の私心もない、唯違法の形をもつた被告人の行為を、しかも懇請して自ら招いたその人が政争の具としてしつように追及し、遂に被告人を失脚させるに及んで漸く告訴を取下げ和解をするというに至つては正義の立場から憤りを禁じ得ないものがある。

以上の事実を前提として主張するところは次の通りである。

第一点、横領罪は自己の所有する他人の物を不法に領得する行為である。そして領得とは自己の所有となすか又はこれと同一視すべき行為を汎称するのであるが、被告人にはこの不法領得の意思も行為もない。唯他人(それも被告人としては農協と信じていた)に貸与したのであるから、他の要件が整つて背任罪になることがあるかもしれないが横領になることはない。又直ちに返却されることが予想され且又村議会にかけたとしても承認されることが確定的(後日村の有志集会で承認されている事例に徴しても)である本件の場合、唯一時の融通に応じたまでで所謂使用窃盗と同様領得の意思なきものといわねばならない。いずれにしても事実の誤認でなければ法の解釈を誤つたものである。

第二点、横領も背任も本人の信任関係を裏切る点にその本質がある。本人の為にしたことであればたとえ結果はどうあろうとも犯罪は成立しない。当時、被告人が松沢の申出を拒絶するならば、第一に、ただでさえ不仲の農協幹部が一層反村長の行動を露骨にして、村民の約八割を占める農家の村執行部に対する離反を策するであろう。殊に年度明けに於て例年開かれる農協総会に於て、被告人が融資に応じなかつた為に搾油工場がなたね時期に間に合わず農家は数百万の損害を蒙つたという批難をすることは火を見るより明らかである。

又第二に、搾油工場が出来ないならば実際問題として搾油は他の業者に依頼しなければならないことになり、村内全農家のばく大な損失となることも事実である。そこで村政の円滑なる運営、村の利益のために、被告人はその申出に応じたのであつて、自己の利益をはかつたのでも、松沢や農協の利益をはかつたものでもない。村の利益を図つてやつた行為であるから罪にならない。

仮りにそうでないとしても斯くの如き事情の下に於て被告人に松沢の申出を拒むことを期待することはできない。すなわち本件当時被告人に所謂期待可能性がなく刑事責任を阻却するものといわねばならない。尚この点の有無について当時の事情を明らかにすることに於て原審は充分な審理をつくしているとはいえない。

第三点、原判決は事実認定の証拠としてその標目を掲げているが、その標目に無いところの花田佐平の公廷に於ける証言をとつて弁護人の主張排斥に供している。これは理由にくいちがいがある場合に該当する。

右三点いずれも判決に影響を及ぼすこと明らかであつて、いずれの点からみても原判決は破棄されなければならない。

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